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東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
〒160-8338 東京都新宿区西新宿 1-26-1
損保ジャパン日本興亜本社ビル 42 階

    

シャルル=フランソワ・ ドービニー

バルビゾン派から印象派への架け橋

Charles-François DAUBIGNY
    Daubigny, artiste paysagiste moderne

―近代の風景画家、ドービニー

 19 世紀フランスを代表する風景画家、シャルル=フランソワ・ドービニー(1817-1878) の国内初の本格的な展覧会です。 刻々と変化する水辺の情景を素早いタッチで描いた ドービニー は、印象派の画家たちの指針となり、モネやファン・ゴッホなど、次世代の画家たちに大きな影響をあたえました。

 ドービニー が画家として歩み始めたころ 1830 年代から 1840 年代は、どのような時代であっただろう。

 1830 年、フランスではブルボン家による復古王政が 7 月革命により崩壊、オルレアン家のルイ・フィリップによる七月王政が成立する。 この王政は立憲君主制であったが 1830 年代の半ばから絶対主義的な傾向を見せはじめ、1848 年二月革命で、ルイ・ナポレオン 3世が大統領に就任し第二共和政が始まった。 産業革命が導入され資本主義経済が発展、貴族階級に代わってブルジョワジーが台頭、こうした政治的・社会的な動きは、美術にも古典的な芸術に代わり、現実をあるがままに描く 「レアリスム」 が登場する。 また、新興ブルジョワジーたちは難解な古典絵画よりも、親しみやすく現実的な作品を求めた。 とりわけ都市に住む彼らは、産業化によって失われつつある 「田園風景」 を主題とした風景画を好んだ。 絵画のヒエラルヒー (位階制) の下位にあった 「風景画」 が、次第に重要な地位を占めるようになっていく。 後に 「バルビゾン派」 と呼ばれる画家たちが自然本来の美しさをあるがままに描こうとし始めたのは、この 1830 年代から 1840 年代のことであった。


会期: 2019 4/20 [土]~ 6/30 [日] 巡回展は終了しました。
休館日:月曜日
開館時間:午前 10 時~午後 6 時まで ( ただし 6/25 [火]~30 日 [日] は午後 7 時まで開館)
   ※いずれも入館は閉館30分前まで
会場: 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館
〒160-8338 東京都新宿区西新宿1-26-1 損保ジャパン日本興亜本社ビル 42 階

会期: 2019 7/19 [金]~ 9/1 [日]
会場:鹿児島市立美術館 (鹿児島・城山町)
主催:鹿児島市立美術館、南日本新聞社、KTS鹿児島テレビ

会期: 2019 9/10 [火]~ 11/4 [月]
会場:三重県立美術館 三重県津市大谷町 11 番地
主催:三重県立美術館



'2019 4_19 「 シャルル=フランソワ・ドービニー展 」 のプレス内覧会の会場内風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。

「シャルル=フランソワ・ドービニー展」東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館

「シャルル=フランソワ・ドービニー」 展
プレス内覧会 & プレス説明会
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館 '2019 4_19


モネも愛した 水の画家 国内初の展覧会!

本展覧会 「 シャルル=フランソワ・ドービニー展 」 図録、プレス説明会、チラシより参考に、抜粋文を掲載しています。

展示構成
 本展覧会では、初期から晩年まで、ドービニー による作品約 60 点、ならびに コロー、クールベ、ドーミエ、デュプレ兄弟、息子のカール といった ドービニー 周辺の画家たちによる作品約 20 点を展示いたします。
 フランス美術館を中心に、国内外各地の美術館・個人が所蔵する作品で構成されます。

序 章: 同時代の仲間たち
第1章: バルビゾンの画家たちの間で (1830~1850)
第2章: 名声の確立・水辺の画家 (1850~1860)
第3章: 印象派の先駆者 (1860~1878)
第4章: 版画の仕事


'2019 4_19 「 シャルル=フランソワ・ドービニー展 」 のプレス内覧会の作品展示風景です。
 「 シャルル=フランソワ・ドービニー展 」図録、チラシ などからの抜粋文章を掲載しています。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。


第1章: バルビゾンの画家たちの間で (1830~1850)

cat.16シャルル=フランソワ・ドービニー《聖ヒエロニムス》アミアン、ピカルディ―美術館
・cat. 16
cat.22シャルル=フランソワ・ドービニー《リヨン近郊ウランの川岸の眺め》カルカッソンヌ美術館、cat.23シャルル=フランソワ・ドービニー《オプトゥヴォスの池》ランス美術館
・cat. 22/・cat. 23

・cat. 16 シャルル=フランソワ・ドービニー 《聖ヒエロニムス》 1840 年 油彩/カンヴァス 165 x 195 cm アミアン、ピカルディ―美術館
・cat. 22 シャルル=フランソワ・ドービニー《リヨン近郊ウランの川岸の眺め》 1848 年 油彩/カンヴァス 65 x 93 cm カルカッソンヌ美術館
・cat. 23 シャルル=フランソワ・ドービニー《オプトゥヴォスの池》 1849 年頃 油彩/板 20.6 x 34.1 cm ランス美術館

 1817 年、ドービニーは、風景画家を父としてパリに生まれた。 病弱であったドービニーは生後まもなくヴァルモンドワの里親に預けられ、自然豊かな環境で約 9 年間を過ごしている。 パリに戻ると、父親から絵画の手ほどきを受け、日用品の装飾などで家計を助けるようになったと伝えられる。
 その後、自身も画家になることを志したドービニーは、1835 年から画家サンティエの下で本格的に絵画を学び始める。 当初、アカデミックな画家として成功を志したドービニーは、1836 年から翌年にかけてイタリアへ旅行し、帰国後、ローマ賞コンクールに度々挑戦するが落選し、以降、宗教や神話の主題を排し、身近な自然の美しさを表現することに専心していった。
 1840 年代、ドービニーは旅を通して自然と出会い、その風景を表現する制作活動を継続的におこない、「バルビゾン派」 の画家として、自身の方向性を確立していった。 パリを拠点にフランス各地を巡り、サロン (官展) へ出品する絵画を制作する生活を続けた。 1843 年には、フォンテーヌブローで滞在・制作を行い、以降バルビゾン派の画家たちと交流するようになる。



第3章: 印象派の先駆者 (1860~1878)

cat.38シャルル=フランソワ・ドービニー《オワーズ川の中州》公益財団法人 村内美術館、cat.37シャルル=フランソワ・ドービニー《ボッタン号》フランス、個人蔵
・cat. 38/・cat.37
cat.64シャルル=フランソワ・ドービニー《オワーズ川、日没》フランス、個人蔵、cat.63シャルル=フランソワ・ドービニー《オワーズ川畔の牛》フランス、個人蔵
・cat. 64./・cat. 63

・cat. 38 シャルル=フランソワ・ドービニー 《オワーズ川の中州》 1860 年頃 油彩/カンヴァス 53.5 x 111 cm 公益社団法人 村内美術館
・cat. 37 シャルル=フランソワ・ドービニー 《ボッタン号》 1869 年頃 油彩/カンヴァス 171.5 x 147 cm フランス、個人蔵
・cat. 64 シャルル=フランソワ・ドービニー 《オワーズ川、日没》 1865 年 油彩/板 21 x 44 cm フランス、個人蔵
・cat. 63 シャルル=フランソワ・ドービニー 《オワーズ河畔の牛》  1865 年 油彩/板 37 x 68 cm フランス、個人蔵

 ボタン号(船の名)を手に入れたドービニーは、その船に乗って各地をまわり意欲的に習作を描いた。 2代目となるより大きな船を購入した 1868 年以降は、セーヌ川を下って英仏海峡にまで出かけて行ったという。
 若い印象派の画家たちは、ドービーニーから風景画家としての姿、すなわち自然に近いところで、できるだけその自然を瑞々しく習作に描くべきという姿勢を学んだ。 なかでもモネは、船をアトリエに使うという啓示を得た。 モネは、アルジャントゥイユで積極的に活動をはじめる 1872 年以降、このアトリエ船で描くことを実践し、川面に近い所から描くという新たな視線を手に入れた。
 このように、コローやブーダン、クールベたちとならんでドービニーは、印象派の世代に大きな影響を与えたのであった。 一方、ドービニー自身も、このモネたちとの交流の中で、筆触分割など新たな技法への教示を得て、実際にそれを自作に取り入れている。 この章では、若い世代に影響を与えながら、独自の活動を続けたドービニーの後半生を紹介する。



'2019 4_19 「 シャルル=フランソワ・ドービニー展 」 のプレス内覧会の会場内風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。

シャルル=フランソワ・ドービニー (1817-1878) の肖像

シャルル・シャプラン《ドービニーの肖像》

・cat.1 シャルル・シャプラン (1825-1891) 《ドービニーの肖像》
1862 年 エッチング 22.2 x 16 cm ポントワーズ、カミーユ・ピサロ美術館

シャルル=フランソワ・ドービニー (1817-1878) 年 譜 ―「シャルル=フランソワ・ドービニー展」 図録からの抜粋文―

・1817 年( 0)  2 月 15 日、パリでシャルル=フランソワ・ドービニーが生まれる。
・1832 年(15) 風景画家の父エデム=フランソワから絵画の手ほどきを受ける。 工芸品や日用品の装飾を手がける。
・1838 年(21) パルで義兄の彫刻家と共同で芸術家結社を設立する。 父親が主品する傍ら、ドービニーもサロンに出品する。
・1842 年(25) マリー・ソフィーと結婚、居を構える。 画家オノレ・ドーミエら芸術家と隣人になる。
・1852 年(35) サロンに 《収穫》 を出品し、国はこの作品と 《セーヌ川岸から眺める》 とともに買い上げになる。 批評家たちから大いに注目を集め、サロンにおける最初期の成功を保証した。
・1857 年(40) アトリエ船 「ボタン号」 購入した重要な年。 セーヌ川、オワーズ川の新しい風景を見出す、ドービニーの水辺の画業は重要な位置を占めていくことになる。 1873 年、クロード・モネはこのアイデアに彼もアトリエ船を持った。
・1860 年(43) [現・ドービニー通り] 沿いに土地を購入し、そこにいくつかの別部屋つきのアトリエ構え、内部の装飾の一部は芸術家仲間に任せ、玄関にはコローが 5 点の作品、ドーミエがパネルを 1 点手がけた。 ドービニーは娘セシルに愛情を注いだ部屋を作り上げた。 「ボタン号」 の船旅で得たインスピレーションで絵画を制作した。
・1866 年(49) サロンの新しい規定により、前年に出品され 「醜い」 と見なされたマネの 《オランピア》 のような作品を観過ごしたり入選させたりすることを避けるために、絵画部門の審査員の人数が 12 名から 24 名に引き上げられる。 ドービニーはポール・セザンヌとオーギュスト・ルノワールに落選者のサロンを開催することを勧める。 イギリスに旅行、「ボタン号」 で航行を続け、ノルマンディー沿岸地方へ船を進める。
・1868 年(51) 再びサロンの審査員に選ばれ、多数の反対意見にもかかわらず、ピサロ、モネ、フレデリック・バジール、エドガー・ドガ、ルノワール、アルフレッド・シスレー、ベルト・モリゾの作品を入選させる。 ドービニーの作品の価格が上昇し、経済的な豊かさがもたらされる。
・1870 年(53) 第二帝政期最後のサロン。 コローとともに改めて審査員に選ばれたものの、モネの作品を入選させることが叶わず、審査員を自任する。 普仏戦争が勃発したとき、カール遊撃隊に加わるが、家族の残りのメンバーはイギリスをめざし、10 月にはロンドンに到着した。 娘セシルが孫娘を誕生。
・1875年(58) サロンには出品せず、次のサロンの審査員への任命も断ってしまう。 ジャン=フランソワ・ミレーが亡くなる。 長く苦しむコローの病床に寄り添う。 コローは 2 月 22 日に息を引き取った。 ドービニーも体調がすぐれず、コローの葬儀に出席できず、彼のアトリエでの作品売り立てでは、友の思い出に彼の作品を多数購入する。
・1878 年(61) 2 月 19 日、パリの自宅で急逝する。 ノートル=ダム=ド=ロレッド聖堂で葬儀が行われ、ペール・ラシェーズ墓地にコローの並びに埋葬された。 サロンはドービニーに敬意を表して彼の作品 2 点を展示し、万国博覧会では1868 年から 1878 年の間に制作 9 点の作品が展示された。

 レジオン・ドヌール勲章オフィシェ級を受章した翌年の 1875 年はドービニーにとって多難の年であった。 親しい友人ミレーとコローが相次いで亡くなったことに衝撃を受け、自身は痛風で苦しんだ。 翌年、さらに健康状態は悪化し、喘息でオーヴェールから動く事ができなくなる。 しかしながら、夏の終わりには二代目ボタン号でまた旅に出た。 このように、晩年のドービニーは、体調不良による療養を繰り返しながらも、さらなる探究心で旅と制作を続け、サロンへも出品を続けた。 1877 年 7 月、60 歳になったドービニーは、不調を押して二人の息子カールとベルナールとともに、セーヌ川をルーアンまで二代目ボタン号で旅をする。 これが、ドービニーにとって最後の航海となった。 1878 年の冬も、体調の悪化にもかかわらず仕事を続けたが、ついに描くことができなくなり、パリの自宅でその生涯を閉じた。



お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル)
美術館サイト:http://www.sjnk-museum.org/

主催:東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館、読売新聞社
協賛:損保ジャパン日本興亜
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
協力:エールフランス航空
監修:ランス美術館
企画協力:ブレーントラスト



参考資料:「 シャルル=フランソワ・ドービニー展 」 図録、プレス説明会、チラシ他
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