シャルル=フランソワ・ ドービニー展 |
-バルビゾン派から印象派への架け橋- |
Charles-François DAUBIGNY |
19 世紀フランスを代表する風景画家、シャルル=フランソワ・ドービニー(1817-1878) の国内初の本格的な展覧会です。 刻々と変化する水辺の情景を素早いタッチで描いた ドービニー は、印象派の画家たちの指針となり、モネやファン・ゴッホなど、次世代の画家たちに大きな影響をあたえました。 |
ドービニー が画家として歩み始めたころ 1830 年代から 1840 年代は、どのような時代であっただろう。 |
1830 年、フランスではブルボン家による復古王政が 7 月革命により崩壊、オルレアン家のルイ・フィリップによる七月王政が成立する。 この王政は立憲君主制であったが 1830 年代の半ばから絶対主義的な傾向を見せはじめ、1848 年二月革命で、ルイ・ナポレオン 3世が大統領に就任し第二共和政が始まった。 産業革命が導入され資本主義経済が発展、貴族階級に代わってブルジョワジーが台頭、こうした政治的・社会的な動きは、美術にも古典的な芸術に代わり、現実をあるがままに描く 「レアリスム」 が登場する。 また、新興ブルジョワジーたちは難解な古典絵画よりも、親しみやすく現実的な作品を求めた。 とりわけ都市に住む彼らは、産業化によって失われつつある 「田園風景」 を主題とした風景画を好んだ。 絵画のヒエラルヒー (位階制) の下位にあった 「風景画」 が、次第に重要な地位を占めるようになっていく。 後に 「バルビゾン派」 と呼ばれる画家たちが自然本来の美しさをあるがままに描こうとし始めたのは、この 1830 年代から 1840 年代のことであった。 |
|
会期: 2019 7/19 [金]~ 9/1 [日] |
会期: 2019 9/10 [火]~ 11/4 [月] |
'2019 4_19 「 シャルル=フランソワ・ドービニー展 」 のプレス内覧会の会場内風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。 |
「シャルル=フランソワ・ドービニー」 展 |
モネも愛した 水の画家 国内初の展覧会!
|
本展覧会 「 シャルル=フランソワ・ドービニー展 」 図録、プレス説明会、チラシより参考に、抜粋文を掲載しています。 |
【展示構成】 |
序 章: 同時代の仲間たち |
'2019 4_19 「 シャルル=フランソワ・ドービニー展 」 のプレス内覧会の作品展示風景です。 |
第1章: バルビゾンの画家たちの間で (1830~1850) |
|
・cat. 16 シャルル=フランソワ・ドービニー 《聖ヒエロニムス》 1840 年 油彩/カンヴァス 165 x 195 cm アミアン、ピカルディ―美術館 |
|
1817 年、ドービニーは、風景画家を父としてパリに生まれた。 病弱であったドービニーは生後まもなくヴァルモンドワの里親に預けられ、自然豊かな環境で約
9 年間を過ごしている。 パリに戻ると、父親から絵画の手ほどきを受け、日用品の装飾などで家計を助けるようになったと伝えられる。 |
第3章: 印象派の先駆者 (1860~1878) |
|
・cat. 38 シャルル=フランソワ・ドービニー 《オワーズ川の中州》 1860 年頃 油彩/カンヴァス 53.5 x 111 cm 公益社団法人 村内美術館 |
|
ボタン号(船の名)を手に入れたドービニーは、その船に乗って各地をまわり意欲的に習作を描いた。 2代目となるより大きな船を購入した 1868
年以降は、セーヌ川を下って英仏海峡にまで出かけて行ったという。 |
'2019 4_19 「 シャルル=フランソワ・ドービニー展 」 のプレス内覧会の会場内風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。 |
シャルル=フランソワ・ドービニー (1817-1878) の肖像 |
・cat.1 シャルル・シャプラン (1825-1891) 《ドービニーの肖像》 |
シャルル=フランソワ・ドービニー (1817-1878) 年 譜 ―「シャルル=フランソワ・ドービニー展」 図録からの抜粋文― |
・1817 年( 0) 2 月 15 日、パリでシャルル=フランソワ・ドービニーが生まれる。 |
レジオン・ドヌール勲章オフィシェ級を受章した翌年の 1875 年はドービニーにとって多難の年であった。 親しい友人ミレーとコローが相次いで亡くなったことに衝撃を受け、自身は痛風で苦しんだ。 翌年、さらに健康状態は悪化し、喘息でオーヴェールから動く事ができなくなる。 しかしながら、夏の終わりには二代目ボタン号でまた旅に出た。 このように、晩年のドービニーは、体調不良による療養を繰り返しながらも、さらなる探究心で旅と制作を続け、サロンへも出品を続けた。 1877 年 7 月、60 歳になったドービニーは、不調を押して二人の息子カールとベルナールとともに、セーヌ川をルーアンまで二代目ボタン号で旅をする。 これが、ドービニーにとって最後の航海となった。 1878 年の冬も、体調の悪化にもかかわらず仕事を続けたが、ついに描くことができなくなり、パリの自宅でその生涯を閉じた。 |
お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル) |
参考資料:「 シャルル=フランソワ・ドービニー展 」 図録、プレス説明会、チラシ他 |
ご意見ご感想は yashio@mui.biglobe.ne.jp |
Copyright © 2002-2019 Yashio.ALL Rights Reserved. |